大判例

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最高裁判所第一小法廷 平成5年(行ツ)175号 判決

上告人

木村茂

右訴訟代理人弁護士

浜名儀一

小川雅義

近藤一夫

被上告人

千葉県選挙管理委員会

右代表者委員長

須賀利雄

右参加人

平野善重郎

右訴訟代理人弁護士

石井正二

河本和子

梶原利之

田久保公規

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人浜名儀一、同小川雅義、同近藤一夫の上告理由について

本件市議会議員選挙における「平野(善)」と記載した投票は、名の一字に丸括弧が付されていても、公職選挙法六八条一項五号にいう他事を記載した投票に当たらず、候補者平野善重郎に対する有効な投票であるとした原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。

よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官大堀誠一 裁判官小野幹雄 裁判官三好達 裁判官大白勝)

上告代理人浜名儀一、同小川雅義、同近藤一夫の上告理由

第一、理由不備(民事訴訟法三九五条一項六号)、審理不尽の違法

一、原判決は、本件係争票について『五名の平野姓の候補者のうちから参加人を区別し、かつ、参加人の名の余字を省略するとともに「平野」姓を補足し、もって、候補者である参加人を特定する記載ということができ、かつ、右表記の意義を右のようにいうことは社会通念に適い自然で容易に可能なことであって、何ら特異なことは考えられない。』と認定した理由として「丸括弧の用法中に他との区別、余字の省略、事柄の補足などの用法が含まれることは一般に承認されているといってよいし、一定の人の集団中に複数の同姓者が含まれていて、姓だけの表記では区別がつけられないときに、これを補足するものとして、同姓者相互を区別するための、余字を省略した簡易な表記方法の一つ、すなわち、氏名の記載と併せて全体として一種の簡易な氏名の表示方法の一つとして、姓の次にこれに続けて名の一字を丸括弧でくくって一連に表記する方法が社会的に広く普及し、定着していると考えられるからである(こうした丸括弧の使用方法は、新聞のいわゆる三行広告欄などの極端にスペースの狭い場合に限られるものではない。)。以上の括弧の用法は、一種の公知の事実に類することであるし、本件において提出された書証―乙号証のみならず甲号証(例えば〈書証番号略〉)―からも明らかなことと考えられる。」と指摘している。

しかし、右指摘自体、客観的証拠に基づくものとはいえず、右指摘から右認定事実を導くことはできない、というべきである。

すなわち、一種の簡易な氏名の表示方法の一つとして、姓の次にこれに続けて名の一字を丸括弧でくくって一連に表記する方法が社会的に広く普及し、定着しているとは、以下に述べるように、一種の公知の事実に類するものではなく、また、証拠上全く認定し得ないのである。

二、まず、原判決のいう「以上の括弧の用法」が「一種の簡易な氏名の表示方法の一つとして、姓の次にこれに続けて名の一字を丸括弧でくくって一連に表記する方法」を指しているものだとすれば、右方法が社会的に広く普及し定着しているとは、原判決がわざわざ指摘している〈書証番号略〉からは全く認定し得ない。つまり、〈書証番号略〉には丸括弧の使用法として「条文の見出し、法令番号(引用する場合)、字句の説明(定義する場合、略称する場合)等に使用する。」「語句もしくは文章のあとに注記を加える場合または見出し、その他の簡単な独立した語句の左右をかこむ場合などに用いる。」と記述されているだけであって、右の意味での一種の簡易な氏名の表示方法の一つとしての丸括弧の使用法については全く触れられていないからである。

のみならず、他の甲号証を検討しても、簡易な氏名の表示方法の一つとしての丸括弧の使用法について触れているものは皆無である。

それ故、原判決が前述のように「本件において提出された書証―乙号証のみならず甲号証(例えば〈書証番号略〉)―からも明らかなこと」としているのは事実に反するというべきである。

また、原判決が「以上の括弧の用法は、一種の公知の事実に類することである」としている点も「一種の公知の事実に類する」という言葉自体甚だ不可解であるばかりでなく、右判断自体にも誤りがあると考える。なぜなら、もし、原判決のいうように一種の公知の事実に類することであるとすれば、丸括弧の用法について説明した文献に当然一種の簡易な氏名の表示方法としての用法が記載されて然るべきはずなのに、〈書証番号略〉にはいずれも全くそのような記載がないのは極めて不合理であるからである。

三、次に、原判決のいう「以上の括弧の用法」が、「他との区別、余字の省略、事柄の補足などの用法」を指しているものだとしても、右用法の全てを〈書証番号略〉はもちろん、他の甲号証からは認定し得ないのである。

この点、余字の省略法との関係で〈書証番号略〉に「字句の説明(定義する場合、略称する場合)」と記載されていることから、右証拠から余字の省略法が認定できるのではないかが問題となるが、「略称」とは「名称を省略して呼ぶこと、また、省略した名称」をいい(国語大辞典、小学館、二四六四頁)、余字の省略の概念よりも狭いものであって、右証拠から、括弧の用法として略称よりも広い概念である余字の省略までを認定することは論理的にできないというべきである。

また、右の意味における括弧の用法が、一種の公知の事実に類することであるとも、認定し得ないというべきである。なぜなら、もし、一種の公知の事実に類することであるとすれば、丸括弧の用法について説明した文献に右用法の全てについて記載されて然るべきはずなのに、〈書証番号略〉には、いずれも右三用法の全てが触れられてはいないからである。すなわち、右証拠において共通に触れられているのは右三用法のうちの「事柄の補足」だけであって、「他との区別」、「余字の省略」の用法についてはいずれの証拠においても触れられてはいないのである。

また、仮に、丸括弧の用法中に他との区別、余字の省略、事柄の補足などの用法が含まれることが一般に承認されていたとしても、そのこと自体と、氏名の記載と併せて全体として一種の簡易な氏名の表示方法の一つとして、姓の次にこれに続けて名の一字を丸括弧でくくって一連に表記する方法が社会的に広く普及し、定着しているかどうかとは別次元の問題であって、前者から直ちに後者を導くことは論理的にできないというべきである。たとえば、後記の判例のように、「株式会社」を「(株)」と省略することが一般に承認されていたとしても、氏名である「宇田川政雄」を「宇田川(政)」と省略することは社会的に一般化しているとは認められないのである。

四、更に、原判決は、「右表記方法は公式表記にはなじまず、多少とも非定型な表記が許容される場面や用途に限定的に通用している方法であって、姓だけで人を特定表記することを前提とし」、「二重の限定付きながら社会的に広く通用している」としているが、「二重の限定付きながら社会的に広く通用している」という言葉自体不可解であるばかりでなく、「通用」すなわち「世間に広く用いられている」と認定した根拠が全く明らかにされていない。

五、上告人は原判決が指摘するような丸括弧の使用方法が皆無だと主張するものではないが、この用法は、社会生活において一般的に用いられている用法ではなく、特殊な状況下における一用法にすぎない(たとえば、非定型的な表記が許容される場面や用途において、姓だけで人を特定表記することが前提とされている場合でも姓の次にこれに続けて名の一字を丸括弧でくくるという方法で表記するのが一般的というのではなく、姓の次に名の最初の一字を書くことのほうが多い―〈書証番号略〉参照)と原審において一貫して主張してきているのである。

また、本件と正に同一のケースである候補者「宇田川政雄」を「宇田川」、「宇田川(政)」と記載した投票の効力が争われた東京高裁昭和四八年(行ケ)第一一〇号・同(行タ)第一三号同四九年一一月二〇日民事三部判決(高裁集二七巻七号七九九頁・判例時報七七八号(昭和五〇年七月一一日号)三六頁)において、裁判所は

『同表2・4の各票には、参加人の氏の記載のほかに、「政」若しくは「政」の記載がなされていることが認められる。参加人は、右「政」を囲んだ丸若しくは横括弧の記載は、余字省略の慣用的用法であると主張するが、参加人主張のように「株式会社」を表記する場合に、かような手法によることがあり得るけれども、人が氏名を記載する場合、完全記載に代えて、余字を省略する方法として、かような手法によることは、社会的に一般化しているものと認められない。従って、右氏名の記載の一部に付された円若しくは横括弧の記載は、有意の他事記載というべきものであるから、同票は無効である。』(高裁集同巻同号八六八頁4・判例時報同号五五頁四段目4参照)

と明確に判断しているのである。

また、候補者「中田吉雄」を「中田(ヨ)」と記載した投票の効力が争われた広島高裁松江支部昭和三四年(ナ)第一号同三五年八月五日判決(行裁集一一巻八号二一五六頁)においても裁判所は

『「ヨ」に付した( )は他事記載である。ヨの記載は被告の名の略記であって適法であるとの主張は採用し難い。』(同二二四三頁判示事項六11鳥取第二甲30参照)

と判断しているのである。

更に、選挙管理事務においても、原則として括弧は他事記載として無効として取り扱われてきたのである(〈書証番号略〉)。

以上のような状況においては原判決が指摘する丸括弧の使用方法が一般的か否かを判断し、適正な裁判を実現するためには客観的な証拠に基づくことが不可欠である。

原判決は丸括弧の用法について、一方では「一般に承認されている」とか「公知の事実」と言いながら、他方では二重に限定された表記方法と言ったり、「一種の」とか「類する」とか補足をしたり極めてあいまいな認定をしている。前記判例で「社会的に一般化しているものとは認められない」としている人の氏名の余字省略法について肯定するならば明確な根拠を示すべきである。

それ故、上告人は原審において、意見書記載のような選挙管理委員会に対する調査嘱託の申立をしたものである。

しかるに、原裁判所は、上告人に対し、各選挙管理委員会に投票自体の保管の有無、裁判所からの調査嘱託に対する回答可能期間等について照会請求をするように訴訟指揮をし、上告人にその資料を提出させ(〈書証番号略〉)、ほとんどの選挙管理委員会が二か月内で回答可能であると答えているにもかかわらず、また、唯一の書証以外の証拠方法であるにもかかわらず、結局、右申立を不必要だとして採用せず、しかも、前述のような客観的証拠に基づかない認定によって本件を判断しているものであって、もし、適正な証拠調べ、事実認定をするならば、判決の結論が逆転したといえるものである。

故に、原判決には理由不備(民事訴訟法三九五条一項六号)、審理不尽の違法があるというべきである。

第二、公職選挙法第六八条一項五号(他事記載の禁止)の解釈適用を誤った違法

一、仮に、原判決の認定事実がすべて正当であったとしても、原判決には、公職選挙法六八条一項五号の解釈適用を誤った違法がある。

二、すなわち、原判決は他事記載の意義について「他事記載の投票を無効とする趣旨は、いうまでもなく、他事記載を許すことにより投票者が推認されることを防ぎ、憲法一五条四項で保障される秘密投票制を確保することにあるところ、国民主権の具体的行使の場面である公職選挙において選挙人の投票意思の尊重されるべきことも憲法一五条一、三項、公職選挙法六七条の趣旨から明らかであって、このような彼我の要請を斟酌し、前記他事記載の意義も定められるべきである。」と一般論としては正当な指摘をしている一方で、具体的な解釈・適用に当たって「同法は姓のみを記載した投票を常に有効としている(六八条の二)うえ、その投票した選挙人の意思が明白であれば、その投票を有効とするようにしなければならないとしている(六七条)ことに鑑みれば、二重の限定付きながら社会的に広く通用している右表記方法を許容し得ないものではな」いとして、本件係争票は他事記載に当たらず有効としている。

三、しかし、同法六八条の二はあくまで同一氏名の候補者等が複数いる場合に、その氏のみ等を記載した結果、候補者の何人を記載したかが厳密にいえば確認し得ない場合に出来るだけ選挙人の投票意思を尊重する観点から按分比例によって投票を有効としようとする特殊な場合の例外的規定であって、選挙における投票の原則は氏名を自書することである(同法四六条一項)。

また、同法六七条についても、投票した選挙人の意思が明白であれば、その投票を有効とするようにしなければならないのは、条文上も明らかなように六八条(無効投票)の規定に反しない限りという限定がされているものなのである。

原判決はこのような例外規定及び限定された範囲内で有効性を有する規定を根拠として本件表記方法を許容し得ないものではないとして、他事記載に該当せず、有効としているのであり、六八条一項五号の解釈適用を誤っていると言わざるを得ない。

四、すなわち、他事記載の解釈に当たっては、原判決も一般論として指摘しているように、秘密投票制の確保と選挙人の投票意思の尊重の彼我の要請を斟酌して定められるべきは当然であるが、条文の規定のし方や、選挙管理事務の実情をも考慮して合理的になされるべきである。

つまり、まず、公職選挙法は、四六条一項において、所定の用紙に当該選挙の公職の候補者一人の氏名を自書することを要求する一方、六八条に無効投票の規定を設け、同条一項五号本文において「公職の候補者の氏名のほか、他事を記載したもの」を無効と規定し、同号但書において「職業、身分、住所又は敬称の類を記入したものはこの限りでない」と規定しており、右法文の定め方からすれば他事記載の解釈に当たっては、他事記載は原則として無効との考えから出発するのが合理的というべきである。

また、大量の投票に対して極めて短時間にその有効性を判断しなければならず、しかも、その判断をする選挙会の構成員が必ずしも専門的知識を有しているとは限らない選挙管理事務の実情からくる明確な基準による迅速な処理の要請の観点からも、「職業、身分、住所又は敬称の類」以外の他事記載は原則として無効と考えるのが合理的である。

そして、たとえ他事記載であったとしても秘密投票制を害さない場合には例外的に有効と考えるべきである。

秘密投票制が害されるか否かの判断に当たっては、投票者の投票意思を尊重することは重要であるものの、投票に記載された事項から客観的に判断して投票者が何人であるか推認される可能性がある限りは秘密投票制を害するものとして無効とされるべきである。

五、かかる観点から、本件係争票を検討すると、たとえ原判決のいうように本件表記方法が二重の限定付きながら社会的に広く通用していたとしても(上告人としては前述のように右認定は合理性を欠いていると考えているが)、本件選挙において右表記方法が、平野姓の投票全体の0.27パーセントしかなく、他の四人の平野姓の候補者の投票の中には右表記方法は皆無であったことからも明らかなように、極めて異例な表記方法であって、投票に記載された事項から客観的に判断して投票者が何人であるか推認される可能性があり、他事記載に当たり無効と言うべきものである。

仮に、原判決のように、本件係争票を他事記載に該当せず有効と解するならば、秘密投票制を害し、他事記載禁止の趣旨が没却されてしまうとともに、丸括弧以外の括弧等の有効性についても疑義が生じ、明確な基準による迅速な処理が要求される選挙管理事務に多大な混乱を招くおそれがあるというべきである。

六、故に、原判決には公職選挙法六八条一項五号の解釈適用を誤った違法があると言うべきである。

第三 結論

以上、いずれの点よりするも原判決は違法であり、破棄されるべきである。

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